シンプルに暮らすとはどういうことか?禅の教えから考える

昔、ミニマリストだった頃に禅の思想がすごく素敵だ!と思い、住職であり庭園デザイナーであり大学の教授である枡野俊明さんの本を繰り返し読んでいました。
そこから興味が出て枯山水巡りまでしたことがあります(笑)
最近は禅の教えが頭からすっかり抜けていたのですが、本屋さんで桝野さんの本が置いてあるのが目に入り、 またふと読み返してみたら「あー、そうだった!基本を忘れていた!」と思い出したので、書き留めておきたいと思います。
簡素と質素の違い
簡素という言葉と質素という言葉、この2つの言葉は似ているように見えますが、まったく違うそうです。
簡素 → 無駄なものをそぎ落としていくこと。何が自分にとってほんとうに必要なものか見極めるということ
質素 → 価値の低いものを使うということ
本の中ではお茶を飲むことが例としてあげられているのですが、お茶を飲むことが好きな人にとっては湯呑みにもこだわりがあるはず。
多少高価なものであっても自分の気に入った湯呑みでお茶を飲むことで心が満たされる。
これが簡素ということ。
一方、お茶さえ飲めればそれでいいという考えの人は、わざわざ高価な湯呑みを買う必要はなく、安価なもので十分です。
これが質素ということ。
自分の生活の中で何を簡素にして何を質素にするか。
自分にとって大切なものは何かを見極め、不要なものはそぎ落としていく。
こういう意識を常に持ち、ほんとうに必要なものだけで生活をする。
それこそが美しさであり、簡素な生活=シンプルな生活ということになります。
自分の心を満たしてくれるものだけを持つ
この禅の教えは忘れていましたが、新しいお家になってから家の中のものはどれもこれもかなり熟考して買ったので、自分を含め家族が必要なもの、そしてお気に入りのものに囲まれています。
それから余計なものもほとんどないので、簡素な生活が出来ているのではないかと思いますし、この状態が心地良いなと感じています。
自分にとって大切にすべきものに目を向けること、このことは桝野さんの本にも何度も出てきます。
これを常に自分に問いかけることを忘れずに日々を過ごしたいと思います。
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